脱皮する

それまで自分を縛っていたものから

自由になる瞬間

 

それが、最高なのだそうだ。

 

わたしは、脱皮に時間がかかっていて

まだ自由ではないけれど、

そうなんだろうなぁということは、わかる。

 

落差が必要なんだね。

自由を制限する枠がなかったら、

そこから脱する喜びが味わえない。

最初から枠がなかったら、

自由のありがたみがわからない。

 

自分を縛ってた枠。

なんとも不自由で、狭くて、苦しくて。

 

でも、必要だったんだ。

大きな喜びを得るために。

 

子どもたちに、できるだけ

枠をはめないように、と思って育ててきた。

わざわざ苦しみを与えることはないけれど、

枠になってしまうことを、

必要以上に怖がることもない。

 

子どもは、子どもなりに、

枠をどうにかしていくだろう。

それがその子の人生。

わたしにできることは

見守ることくらい。

 

わたしの考えを伝えることはできる。

でも言うことを聞かせることなんてできない。

 

参考にしてくれればいいなって思うけど、

意味わかんねぇ、って言われたら、

それはそれ。

 

脱皮する喜びは奪えないね。

何を枠って感じるかも、それぞれだしね。

 

それより、

わたしはわたしに集中して、

わたしの可能性をひらいていくわ。

大きな喜びに向かって。

 

 

道を照らす光

本は子どもの頃から好きだった。

本屋さんにふらりと行って過ごすのが好き。

 

就職してすぐくらいの時、

会社の帰り、時間があいた。

本屋さんに立ち寄って、一冊の本を手に取る。

臨床心理学者の書いた本だった。

 

この本が、わたしがこころを見つめていく

はじめの一歩。

 

何をやっても足りないと思い、

自分に価値があることを感じられず、

周りの評価を、常に気にしてた。

 

そんな行き詰まった閉塞状態を

少し明るく照らしてくれた本。

 

そこから、いろいろ探し出した、

照らしてくれる光を。

 

心理学の本、

宗教家の書いた本、

コーチング、

スピリチュアル、

自己啓発

マヤ暦、

数秘術

などなど、いろいろ。

 

手元をポッっと照らしてくれた小さな光。

内側に入って、こころを照らし続けてくれる光。

遠くから灯台のように照らしてくれる光。

わたしには眩しすぎる光や

逆に明るさの足りないものもあった。

それぞれ、さまざま。

 

必要な光は

必要な時に出会って、

必要な道しるべになってくれた。

 

それらの光に出会って、

考えが変わり、行動が変わり、捉え方が変わり、

世界が変わった。

 

蓄積されたものは人それぞれ。

同じ場所にいて、同じことを見ていても、

捉える世界は、それぞれ違う。

 

必要としている光も

それぞれなのだろう。

 

自分で選んだからこそ

大切な光になったんだと思う。

 

わたしが楽になったからって、

違う人が同じ光を必要としているとは限らない。

必要なのは、今ではないのかもしれない。

 

それは自分の子どもであっても同じこと。

 

それぞれに、必要な光。

自分の光を押し付けることも、ない。

 

等身大の自分

何か不具合が起こると

わたしのせいだって思うクセがあった。

 

不機嫌な人がいると

わたしが怒らせた?って思った。

 

要求に応えないとならないって思ってた。

要求に応えられないわたしは、ダメな人なんだと思ってた。

 

自分のニーズより、

他人のニーズを先回りして満たしてあげようとする。

そうしないと、好かれないと思ってた。

 

嫌われることを恐れてた。

自分が嫌いな人からも嫌われたくなかった。

 

そうやって、

他人の顔色をうかがってばかりだった。

 

がんじがらめ。

おどおどして、緊張して、

自分はどこにもいなかった。

 

なんか好かれない。

仲良くなりたい人たちと、仲良くなれない。

仲間に入れてもらえない。

わたしの努力が足りないのかな?

間違ったことを言っちゃったかな?

もっと他人の気持ちがわかるようにならなくちゃ!

もっとがんばってあわせなきゃ!正解を探さなきゃ!

 

頑張れば頑張るほど、からまわり。

ますます緊張して、こわばって 、

自然体からは、遠のくばかり。

 

ますます好かれない。

わたしってダメなんだなって、

こんなに合わせようってがんばってるのに。

自分をいじめる日々。

 

自分の意見なんて、なかったの。

他人に求められることを言わなくちゃって思ってたから。

そして「間違ったことを言わないように」とか

「印象のよいことを言わなくちゃ」などと思えば思うほど、

言葉は出てこなくなる。

 

他人の顔色をうかがうから、

わたしがどこにもいなかったから、

ひととうまくつきあえなかったんだわ。

頑張る必要なんてなかったんだわ。

 

がんじがらめに縛られていたのを、

少しずつ少しづつ、

ほどいていく。

 

見ようとしてなかった自分のイタイ部分。

隠そう隠そうとしていたところ。

目をそらさずに、ちゃんと見る。

過信も卑下もしない。

等身大の自分を知る。

 

会話を盛り上げるのが上手で、

出会ってすぐ仲良くなれる人たち。

とても楽しそうで、うらやましいなーって思ってた。

今でも、思ってるよ。

仲良くなれたら楽しそう。

 

でも、そんな会話の中心にいる人たちにばかりに

目がいってたけど、

世の中そんな人たちばかりでもない。

そんなことを改めて気がつく。

 

他人を惹きつけるようなしゃべり方はできないけど、

言葉をひとつひとつ噛みしめて話す人。

テンポよく言葉は出てこなくても、

相手の話をじっくり聴く人。

そんな人たちも、ちゃんといて、

そういう人たちと話しをして、

なんかホッとしてるわたしがいた。

 

その人たちは、わたしの姿。

自分をちゃんと見てなかった時は、

目に映らなかった。

 

世界は、自分を映し出す鏡だ。

ヘタでよかった。

こないだ、歌のレッスンの最中に

「歌がヘタでよかったな〜」って思いがこみあげてきた。

 

ヘタで?よかった?
負け惜しみじゃないよ。
本心からそう思ったの。

 

わたし、発声練習が大好き。
声帯の使い方、息の使い方、からだの使い方。
それによって、出てくる声が変わる。

 

今、声帯どうなってるかな?
今、鼻の奥に音がよく響いたな〜。
あー、喉が閉まってうまく声が出なかったーーー。

 

そんな風に感じながらレッスンを受けている。

 

息の使い方がもっと上手になったら、あの音が出そうだな。
喉が閉まっちゃう時は、あごを意識すればいいのか〜。

 

自分の声と息とからだで遊ぶ。
すごく楽しい。

 

歌がヘタでよかった〜。
最初から上手だったら、この楽しみは味わえなかった。

まだまだへたっぴ!伸びしろたっぷり‼️
これからもっと楽しめる。

 

そんでね、思ったの。人生も同じだなって。

わたし不器用で生きるのヘタで、
アイタタタッがたくさんあった。

 

アップダウンする感情に振り回され続けて
苦しかったから、どうにかそこから自由になるために
自分の感情を見つめていった。

 

今、こんな風に感じた。
今、けっこうブラックなことおもったでしょ!
あー、感情を抑えようとしちゃったね。

 

抑えた感情は、別のとこから出てくるわー。
感じきったら、感情に振り回されなくなるんだね。

 

自分の感情を見つめる。
けっこう楽しい。

 

アイタタタッに悩んでる時は、楽しいどころか
苦しかったけど、
そのおかげで感情と遊ぶ術を身につけた。

 

不器用で、よかったな〜。

アイタタタッはもういらないけど。

大事にされたい

結局、大事にされて育ったという実感がないから、

大事にされたい、を求めてしまう。

 

今、大事にされてる。

夫からも子どもからも。

それなのに、どっか満たされない。

 

それは、自分で自分を大事にしてないから。

自分で自分を大事にするって、

どういうことかわかってなかった。

 

最初に妊娠した子を

4ヶ月目に入った頃に、流産してしまった。

その時、わたしの母が言った言葉。

〇〇(弟の名前、母からすれば息子)の生まれ変わりが

来てくれたと思ったのに。

 

えっ?と思った。

弟は30歳の時に亡くなった。

それから数年後、

わたしの妊娠は明るさをもたらしたけど、

生まれ変わりとは微塵も思ってなかった。

母のために産むわけじゃない。

そしてこのタイミングで言われたのにも

傷ついた。

 

夫にこのことを言うと

「愛されてなかったんだね」と言われた。

ショックな言葉だったけど、納得してる自分もいた。

……愛されてなかったんだ。

 

結婚が決まった時も、

いそいそと、勝手に家財道具を

買ってきたり。

いったい誰が結婚するのだろう。

 

結婚前に、28歳で子宮筋腫になり、

手術することになった時は、

入院の一週間前に、

お見合いの話を持ってきたこともあった。

大きな手術ではないけれど、

それなりに手術に対して不安でいっぱいだったわたし。

お見合いなんて、考えることすらできないのに。

 

小さい時から、

母の都合や感情が優先だった。

顔色をうかがい、

機嫌を損ねると、怒られる。

なぜ怒られてるか理由がわからないことも

たくさんあった。

 

父に対する愚痴や、

親戚やご近所さんの悪口も

聞かされた。

わたしの友だちへの批判も。

 

常に主導権は母にあり、

思い通りにコントロールしようとする。

行動、発言、考え、感情までも。

時には、お金の力も使って。

 

親なんて、どこも同じなのかと思ってた。

 

その後、わたしは子どもを二人授かった。

わたしみたいな思いはさせない。

そう思って育ててきた。

 

大事だよって毎日伝えてる。

気がついたことは、褒める。

ありがとうって言う。

怒る時も、

人格を否定する言い方はしないように気をつけてる。

愚痴や悪口なんて聞かせない。

友だちの批判なんてしない。

 

のびのび育ってると思う。

自分や他人を信じるこころも、育ってると思う。

 

でもね、わたしは二の次だった。

結婚するまで、母が優先。

子どもが生まれてからは、子どもが優先。

 

自分で自分を優先させて来なかった。

子どもを傷つけないように、

ああしなきゃ、これはしちゃダメって、

こういう言い方にしないとって、

自分で自分を縛ってた。

 

自分の感情や欲求を、

置き去りにしてる。

自分で自分を大事にしてない。

 

それじゃ、満たされるはずがない。

 

感情や欲求、置き去りにする状態に

慣れすぎてて、

気がつかなかった。

 

まずは自分。

そこから。

感じつくす

いろんな感情を抑えつけていた。

 

わがまま言っちゃいけない。

怒っちゃいけない。

泣いてはいけない。

調子にのっちゃいけない。

 

子どものころ、そんな感情をあらわすと

怒られたから。

抑えててもはみ出る気持ち。

はみ出すたびに、頑固だ強情だと言われ、

時には嘲笑われた。

 

嫉妬は醜いもの。

弱音はいたりすると、つけこまれるよ。

明るくしてなくちゃ。

他人には優しくしなくちゃ。

迷惑かけちゃだめ。

 

学校や社会で、しらずしらずに

刷り込まれていく価値観。

自信がなく、軸が定まらないわたしは、

他人に合わせてフラフラしてた。

自分の感情は置き去りにして。

 

抑えてるって意識もなかったよ。

 

抑えこまれて感情が、

わたしの中で渦巻いて、

出口を求めていたんだね。

苦しくて苦しくて、

でもなんで苦しいのか、わかってなかったの。

 

子どもが生まれて、3歳になった頃が

苦しさのピークだった。

一人ならごまかしてこれたことを、

子どもが、あばいていく。

ママ友とのつきあいも、うまくいかなくなった。

爆発寸前💥

 

そんな時に出会った人が教えてくれたこと。

感情を感じつくす。

 

静かに座って、

自分の内面から浮かび上がってきたら

その感情をみる。

 

どんな色?

どんな形?

手触りは?

動きはある?

温度は?

形容するとしたらどんな言葉?

 

感情をイメージで捉えて

形を与える。

 

一人になれる時間に、やってみた。

 

最初に出てきたのは「怒り」

真っ赤で熱くて、

手に負えない感じ。

 

日を置いてまたやってみる。

次に出てきたのは「悲しみ」

ガラスの箱に閉じ込められたわたしが、

その外側を流れる水をみている。

とても寒い。

 

また別の日、「不安」

針のむしろに居るような

落ち着かなさ。

 

その次が「嫉妬」

真っ黒でドロドロ。

 

しばらく感情が浮かばない日が続いて、

ある時ふと出てきたのが「喜び」

コンビニに行く途中、

何気なく顔をあげると、高く澄み渡った空が

目に飛びこんできた。

風が街路樹の葉を揺らす音や、

車が走っていく音までもが、鮮明に響き、

通りすがりの親子が、

楽しそうに仲良くおしゃべりしながら歩いていた。

 

気がついてなかったんだ、今まで幸せの中に生きていたことを。

特別じゃない日常に、こんな美しさがあったってことを。

「喜び」があふれてきた。

 

この日を境に、

感情を「感じつくす」ことをする必要がなくなった。

やってみようと座っても、たぶんできないと思う。

 

押さえつけられて、ないものにされていた感情に

居場所ができた。

 

怒りや悲しみや嫉妬が

消えたわけではない。

毎日喜びに満ちあふれているわけでもない。

 

感情を認め、付き合っていく

スタート地点に立てた。ということ。

 

五感が研ぎすまされて「喜び」を鮮明に感じたのは、

あれ以来ないけれど、

でも、思い出せば

いつでも戻っていける。

 

今日も、空がきれい。

一里塚

きちんと育たなかった自尊感情

いつも不十分って感じて、

頑張りすぎるけど、空回り。

なんとなく後ろめたくって、どこにいても

ここにいていいんだっていう安心感をもてない。

何か不具合があると、わたしのせいじゃないかって

過剰に責任を負い、義務を感じ。

 

ありのままって言葉が、何を表現しているのか、

全然わからなかった。

ありのままの自分が、ありえなかったあの頃。

 

自分を取り戻す旅。

まず一番大事だったのは、

自尊感情を育て直すこと。

 

今だって、今までだって、十分がんばっているということ。

なかなかよい側面を持っているということ。

頑張らなくたって、価値は減らないということ。

できることだって、たくさんあるということ。

ただ生きているということ自体が、素晴らしいということ。

つらい子ども時代を生き延びてきた強さもあるということ。

 

できないところ、不十分なところしか見てなかったことに気づく。

 

よいところを探して、ほめてみる。

最初は10個探すのでさえ、無理だった。

見つけたよいところは、

日記に書いて、忘れないようにする。

毎日必ずいいところを見つける。

人からいいところをほめてもらう。

意外な自分を発見。そしてきちんと受け入れる。

人の良さも見つけて、ほめる。

 

何かが足りないって思いが消えていき、

安心感って何かがわかってきた。

過剰な義務感に振り回されることも、減ってきた。

ここまで、大きな一歩。大事な一里塚。

 

歩き方を覚えたら、歩く練習はもういらない。

 

見えてなかった自分を、見つけた。

次は隠している自分を、探しに行こう。

 

次の一里塚へ向かって、また一歩進む。