かくれ毒親

うちの親は、かくれ毒親

 

身体的な暴力を振るったり、ネグレクトだったりするのは

かくれてない、どこから見ても毒親

 

かくれ毒親は、

子どものため、ということを隠れ蓑にして、

精神的な虐待をする。

本人も気づいてないと思う、

自分のしていたことが虐待だってこと。

 

悪意があってもなくても、

子どもを混乱させ消耗させ、

自信を奪い、のびのびと生きていけなくさせる、

そういう親は、虐待をしているのだ。

 

わたし、虐待されてたって気づいたの

大人になってからだもの。

毒親の本読んで、愕然とした。

わたしがされてきたことが、書いてあった。

その衝撃は、忘れない。

 

わたしが感じてた生きづらさ、

ここからきてたのだと、確信できたのは大きかった。

抵抗する力のない子どものころの出来事。

わたしには、なす術はなにひとつなかったんだ。

 

不健康にコントロールされて、

いつも母親の顔色を伺ってきたわたしには

自尊感情は育たず、

いつもなんとなく後ろめたい気分、

常に何かが足りないような気がしていたし、

過剰に自分のせいだと思う癖があった。

母親の声が、批判の声となって内側から聞こえてくる。

 

びくびくしながら生きてたね。

間違えないように、失敗しないようにって。

何か不具合が起こったら、わたしのせいじゃないかって

思ってた。

 

よく頑張ってきたね、わたし。

ここまで生き延びてこれた。

子どものわたしには、対抗する力はなかったけど、

理不尽にきずつけられきたけれど、

苦しみをどう減らしていくか、

考え、向き合う力があった。

より良く生きようとする意思があった。

 

今でも残ってる。

自信のなさは、ぽろっと顔を出したり、

不機嫌な人が、異様に気になったり、

人と会うとき、緊張しすぎたり、

不用意に傷ついて、

立ち直るのにものすごく時間がかかったり。

 

心の痛みが消える日は来るのかな?

完全に自由に、自然体で過ごせるようになれるかな?

それはわからないけど、 

自分を回復させるために、一歩一歩進むしかない。

感謝は、するものなのか?

わたしの母は、毒親だ。

 

生きづらさを抱えてきた。

人間関係では、緊張し、硬くなり、

心の中は否定の嵐。

なにをしゃべっていいのか混乱し

言葉を飲み込んでしまうことが多かった。

耳元では、自分を責める声がいつも聞こえていた。

 

育てられ方が大きく影響している。

ちっとも自信がなかった。

親が、自分の自己満足のために、

子どもを卑下していたからだ。

 

わたしに子どもが生まれた時、

自分がされてきた育て方は、しない。

強く決意した。

同時に、自分を育て直すことにも取り組んだ。

未熟な親に育てられたわたしもまた、

肝心なところが育ちきらずに大人になってしまっていたから。

 

自分の育て直し。

いろんな人の話を聞いたり、本を読んだり、

コーチングを受けてみたり……。

 

だいぶ育ってきた、と思う。

最初の頃と比べたら、別人のよう。

ただ、ここを越えると一気に楽になるだろうなぁと思う

その一線が、なかなか越えられずにいる。

 

親に感謝しなさい

親を受け入れなさい

親を許しなさい

どんな親でも、親を許してないうちは

自分を許せないのだから。

いろんな人がそう言っている。

 

そうなのか、じゃぁ親との問題に向き合うか。

 

思いを伝えてみた。

まるで理解しないし、そもそもできないみたい。

 

してくれなかったことではなく、してくれたことに目を向ける。

親がいなかったらわたしは存在しないのだから、そのことに注目する。

そう言われたけど、感謝には至らない。

 

親のこと、憎くて憎くて、というわけではない。

諦めている。

ときどき自分勝手なことを押しつけをしてくるので

腹がたったりもする。

いつまでたっても、感謝は湧いてこない。

 

わたしには二人子どもがいる。

11歳と8歳。二人とものびのび育っている。

子どもと過ごすドタバタな毎日。

成長していく姿を見られる幸せ。

 

そこには感謝しかない。

 

親が子どもを育てる営み。

感謝するのは親のほうではないだろうか。

子どもという、大きな恩寵を与えてもらったのだから。

 

子どもたちが、親に感謝してくれれば、それはうれしいけど、

育てるためにしていること、当たり前って受け止めてくれて、

それでいい。

 

感謝はしようと思ってできるものでは、ない。

感謝は、しらずしらずに、あふれているもの。

 

自信がなくても

シナモンロールを、24個焼いた。

f:id:yoriyorimidori:20170611225333j:image

こんなにたくさん作ったのは、初めて。

ジンジャーケーキも焼いて、

お届けした。

 

先月から、頼まれて、

ケーキを焼いて持っていく。

おいしいって言ってもらえるのが、

何よりうれしい。

 

今回はパンも頼まれて焼いた。

 

パンの焼き方、友だちに教えてもらったのが

7〜8年前。

それから家族のために、ときどき焼く。

焼き菓子も、自家用でときどき作ってきた。

おいしければいいわって、

形は二の次。

 

頼まれて焼くのは、ものすごくドキドキした。

うまく膨らまなかったらどうしよう。

失敗したら、発酵やり直す時間ないしーー。

いっつもすぐ食べちゃうから、

時間経ってからもおいしいのかな〜。

しぼんじゃったりして(//∇//)……考えすぎ……。

 

焼きあがって、

形がイマイチだな〜、と思う。

 

自信は、全然ない。

それでも引き受けた。

お菓子やパンを焼くのが大好き。

おいしいって言ってもらえるの、すごくうれしい。

断る理由なんてないじゃないか。

 

わたしの焼く素朴なお菓子やパンを食べて、

頼んでくれたんだもの。

精いっぱい、いまの自分の焼くお菓子をパンを

出せばいい(と、自分に言い聞かせる)。

 

先日子どもに言ったことを、思い出す。

野球をやっている長男、小学6年生。

守備は得意で、練習もよくする。

というか練習が遊び。

でも、打撃は苦手意識があって、なかなか練習もしない。

うまく打ちたいって気持ちはあるようなんだけど、

苦手なことに、取り組もうとしないの。

「苦手だからって、自信がないからって逃げていたら

いつまでたっても今のままじゃない?」

 

子どもに向かって言ってるようで、

自分に言ってるんだわ。

 

やりたいことの、苦手な部分。

自信がなくても、やり続ける。

 

小さな宇宙

庭を作り直して、今年で4シーズン目。

元の庭から移植した木や

ちょこちょこと苗を買ってきては植えたもの。

枝を伸ばし、広がって、庭に馴染んできた。

 

あまり手間はかけてあげられない。

でも荒れた感じにはしたくない。

 

花とハーブ、野菜や実のなる木、

そしてどこからかやってくる雑草たちも

みんな共存して調和する、そんな庭をめざしている。

 

いつのまにか存在している雑草たちも、

それぞれとても可愛い。

どんな雑草たちも愛でていこうとおもってたのだけど、

その考えを曲げることになっちゃった。

 

厄介な侵入者が。

細いツルを伸ばして、他の草や木に絡みつき、

しなだれかかり、覆い尽くされて、ダメにしてしまう。

 ハート形の小さな葉っぱ、細くてはかなげなツル、

可憐で繊細な見かけに騙されて、気がつくと一面覆い尽くされていた。

こんなタイプの人もいそうだよね〜。恐っ!

 

タネを落としていて、

今年も庭のあちこちから生えてきた。

見つけては、引き抜く。

抜いても抜いても、また出てくる。

キリがない。

 

あー、これは「業(カルマ)」だわ。

わたしの心の中にある、悪業のタネ。

摘んでも摘んでも、また芽が出てくる。

キリがない。

でも摘むのをやめたら、

荒れ放題になってしまう。

 

このツル植物の芽を摘みに、

庭に出る毎日。

ついでに観察する、他の草木の成長や変化。

土に触って癒されている。

なんだか楽しみになっていることに気がつく。

 

悪いカルマを摘み取って、

自分を整えていこうとする行為こそが

癒しそのものなのかもしれないね。

 

庭もわたしも、小さな宇宙。

いのちを輝かせるもの

 先日歌のWSに参加した。

テーマは「自分らしさ」

課題曲の中から、自分らしさを表現できる歌を選び、

アレンジやテンポも、自分らしさを念頭にいれて

発表するの。

で、他の参加者からコメントをもらうのだけど、

歌うのはもちろん、他の方の歌を聴くのも真剣。

 

同じ歌でも、歌う人によって、全然違う。

当たり前のようだけど、当たり前のことって、

普段あんまり意識しない。

真剣に聴いてみると、ものすごい発見がたくさんあったわ。

 

なんていうか、歌にはその人のもっているものが出る。

上手い下手とか、好ききらいをこえたもの。

普段何気なく聴く時って、あー好きだわーとか。

あんまし好きじゃないって思ったらもう聴かなかったり。

 

でもWSだから、そこを超えて真剣に聴く。

 

そしたら、マイナスの要素に(私が)思ってたものが、

その人の魅力になっていることに気づいたの。

例えば、ちょっとだらしない感じとか気だるさとかって

不思議な色っぽさに見えてきたり、

厳格で堅い感じが、芯のまっすぐ通った強さに見えてきたり。

 

私の歌も、素直な感じとか、清潔感とか、まっすぐな声、

可愛らしさ、優しさ、暖かさ、飾り気のない感じ、淡々と

控えめな感じ、繊細さ、きめ細かさ、などなど

私らしさを、他の参加者の方に見つけてもらいました。

 

曲を選ぶときに、パンチの効いた歌い方はできないし〜、

色っぽさが要求されるのも無理〜って

自分のマイナス要素ばかり見てたけど、

なんかそれってマイナスではなく、自分らしさであって

マイナス要素って思い込んでたものこそが、

魅力なんだって気づいた。

 

だから、マイナス要素なんて、誰にも存在しない。

一見マイナスに思えても、それが誰かの好みではなかったとしても

その人らしさは、その人のいのちを輝かせるもの。 

たんたんと

淡々としていると言われることがある。

わたしらしさを、よく表した言葉。

そう言われるのがうれしかったりする。

そうなってきたのは最近のこと。

 

あっさり、うす味。

このうす味を物足りなく感じる人もいる。と思う。

これは好みだからね〜と思えるようになったのも最近のこと。

ちょっと前まで、うす味じゃ物足りないってわたし自身が思ってた。

ないものねだりをしていたのね。

 

うす味なのは、わたしの持ち味。

それを活かすために、

なるべくよい材料を選び、

出汁をしっかり効かせ、

アクも丁寧に取り、

調味料も厳選する。

心を落ちつかせて、お料理を楽しむように、

そんなふうに生きていけばいいのだろうなって思ったの。

 

わたしらしさをベースに、しっかり持っていれば、

たまにスパイスをぐっと効かせたり、

濃い味をふりかけてみたりするのも、自由にできる。

濃い味じゃなくちゃ、だとツライけど、

たまには濃い味を楽しいもう、だと楽しくなってくる。

 

そんなふうに思うようになった経緯を

これから少しづつ、綴っていきたいと思ってます。