わたしの中の、子どものわたし

ダメ出ししてしまうのが、

長年のクセになっている。

 

他人にも、心の中でするけれど、

自分に対するダメ出しの方が、

圧倒的に多い。

自分と居る時間が圧倒的に多いからね。

自分へのダメ出し、ツラいのだ。

 

ダメ出しすることに、ダメ出しするわたしを、

ダメ出しする………、永遠に続く。

 

ダメ出し、どうしたらやめれるのかなぁ。

模索する日々。

 

自分に自信があれば、ダメ出ししないんじゃないか。

……ダメ出しするたび、自信喪失。

自信がついてく暇がない。

 

なんでもありってことにすればいいんじゃないか。

……勘違いしてるかも、過信してるかも。

不安になってしまう。

 

自分を大事にすればいいんじゃないの。

……だから、ダメ出ししないであげたいんだよーー。

堂々めぐり。

 

なかなか止める方法が見つからない。

 

先日、

「10代の子を持つ親が知っておきたいこと」

という本を読んだ。

うちにも10代の子がいるので、何気なく手に取った本。

 

すごい、すごい!

そうすればいいのか〜。

 

わたしの中の、5歳児のわたしが

「もっと大事にしてよーー」と駄々をこねる。

大事にしてもらえない怒りでいっぱい。

 

わたしの中の、10代のわたしが

「認めてくれない」と拗ねている。

怒りを抑えて、くすぶっている。

 

大人のわたしが、ダメ出ししていた。

そんなに怒っちゃダメですよ。みんなに嫌われちゃうでしょ。

何そんなに甘えてるの。世の中そんなんじゃやっていけないよ。

もっと頑張りなさい。

 

大人は、わかってくれない。

 

そういう気持ちなんだね。

大事にされなくて、腹がたつよね、当然だよね。

今まで、そういうやり方しか知らなかったんだ。

これから、改善する方法を一緒に考えていこうね。

 

大人のわたしが、子どものわたしに

そう言えばいいんだ。

 

そう言ってあげれば、ダメ出しじゃない。

過信でもない。

 

ダメ出しをしてしまうのは、

今までそういう状況にいたから。

そうなって当然だった。

まずそこを認めてあげる。

ダメ出しへのダメ出しは、これで止まる。

 

まだまだ、もっと頑張れって言いたくなったら、

できるようになったこと、

変化してきたことを、

みるようにすればいい。

 

いつだって、最善だと思ってやってきたはず。

それしかできなかった、

それがベストだった。

ダメ出しではなく、さらなる最善を探そう。

 

子どもの成長を信じるように、

自分の成長も信じていく。

 

怒りと付き合う

怒らない人だった。

 

嫌なことがあっても、

自分が悪いのだと思っていた。

 

相手が不機嫌なのは、

相手が怒っているのは、

相手がひどいことをしてくるのは、

わたしの対応がよくなかったからだ。

 

どんなことをすれば、機嫌がよくなってくれるのかな?

どんな風に言えば、怒らせなかったのかな?

どんな風にすれば、ひどいことをやめてくれるのかな?

全部、自分の責任にしていた。

 

「怒ったこととかないでしょう〜」

過去に、結構言われていた。

確かに、なかった。

自分でも、怒りがないんだなって思い込んでた。

 

そんなわけ、ないんだよね。

自分でも気がつかないくらい、

むちゃくちゃ押しこんでただけ。

ないことにしていただけ。

 

後から思うと、

抑えきれずに、はみ出してた怒りが

あちこちで悪さを働いている。

生きづらかったのが、その証拠。

人間関係がツラかったのが、その証拠。

 

 

きっかけは、子育て。

思い通りになんか、絶対にならない、いきもの。

怒りが込み上げてくる。抑えられない。

可愛いのに、憎らしい。

抑えきれない怒りをぶつけてしまう。

子どもの表情が、能面のようになった。

このままだと、わたしがこの子を不幸にしてしまう。

上の子が3歳の頃。

 

今なら、思う。

子どもが、わたしの感情の蓋を開けてくれたのだ、と。

おかげで、ぎゅうぎゅうに押し込められてた怒りが、

やっと日の目をみた。

 

ずっと溜めこまれて、

腐っている怒り。

自分でも辟易するくらい。

 

全部自分の責任にしていたのが、

一転した。

他人に対して、ダメだ、嫌いだ、そこがよくないって

思うことが増えた。

怒りが、急激にあふれだす。

 

ぶつけないように気をつけたつもりだけど、

結果的には

一部の人間関係を、壊してしまった。

 

すべての怒りは、

なんでわたしを大切にしてくれないのっ!

という叫びだ。

 

大切にしてって、他人に求めても、

わたしが思うように応えてくれる人はいない。

 

自分で自分を大切にしてあげる。

そこからしか、始まらない。

 

怒りがまだまだ、溜まってる。

そんな自分も、そうなんだって認める。

 

怒りが溜まってるダメな自分、って言わないよ。

今までそうやって自分をいじめてきた。

これからは、大切にしてあげるんだから。

 

そうやって生き延びてきたんだよね、

それが最善だって思って生き延びてきたんだよね。

もう抑えなくていいんだよ。

出してっていいんだよ。

出しても、他人に撒き散らさないで済む方法を、考えようね。

 

普通になりたい

子どもの頃から、

わたしは「普通」ではない、という思いがあった。

どこかがはみ出ている。

「普通」の人たち中が、居心地が悪かった。

 

なんでわたしは「普通」じゃないんだろう。

「普通」になりたい。

「普通」にあこがれ、

「普通」のふりをした。

 

自分を「普通」になったと思うことは、

一度もない。

 

同時に、「普通」を突き抜けて、

輝いている人にも憧れる。

 

どっちつかず。

どっちにもなれない。

 

立ち止まって考える。

「普通」ってなんだろう。

 

わたしの思う「普通」っていうのは、

多数派のことだ。

大勢が支持することが、

正しいことだと、どこかで思っていた。

多数決でものごとが決まる、

そんなことからも、すりこまれていたのかも。

 

それじゃぁ、「普通」になるということは、

その他大勢になるということだったのか。

大勢の価値観に合わせるということだったのか。

 

自分らしく生きたいと思う気持ちと、

真逆だね。

 

「普通」になりたいと思うと同時に、

自分らしくありたい、とも思っていた。

どっちつかずになる訳だ。

 

今は「普通」になれないことを受け入れている。

わたしは、マイノリティだ。

 

でも、「普通」を突き抜けて、

輝かやいているわけでもない。

そこを目指すと、

今度は「普通」を見下してしまいそうな気がする。

 

「普通」でもない、

「特別」でもない、

わたしは、わたし。

 

怒りをもて余す

「怒ったこととかないでしょ〜」と

過去に言われたことが、結構ある。

 

子育てをするまでは、

怒りを感じることは、ほとんどなかった。

 

怒りがなかったわけではない。

抑えていたことにも、気がつかずにいただけ。

 

子どもが、わたしの怒りを引き出してくれた。

そこからわたしと怒りとの付き合いが始まった。

 

ない、と思ってた怒りが、

次から次から湧いてくる。

怒りをもて余ました。

子どもが可愛いのに、憎らしい。

このままだと子どもを不幸にしてしまう。

どうにかしなくては。

 

自分で自分を粗末にしていた。

他人に合わせすぎて、

自分が何を感じてるのかわからなくなっていた。

やり場のない感情が、

マグマのように溜まっていたのだった。

 

それから、自分を大事にすることを覚え、

怒りとの付き合いも、少しづつ上手になってきた。

 

感情にいいも悪いもない、と言われたけど、

怒りを持て余した苦い後味。

仏教の本を読むと、

怒りは怒りを呼ぶ、というようなことが書いてある。

 

怒りを捨て去りたい、

どうしたら怒りから自由になれるのか。

10年近く、そんなことを考えてきた。

 

最近、少し考えが変わった。

 

怒りとの付き合いが上手になったと過信してたけど、

抑えている怒りがまだまだあることに気がつく。

抑えてた怒りを成仏させてあげなくては、

進めないかも。

 

出そう。

あるものを、無いことにはできない。

 

抑えられてた古い怒り。

閉じ込められて押さえつけられて、

腐っている。

 

自分でもあんまり見たくない。

でも出さなきゃ、始まらない。

 

そう思ってると、

怒りを誘う出来事が起こったりする。

怒りを出す練習の場が与えられているんだな、

怒りながら、そんなことを思った。

 

へりくだりゲーム②

近ごろの女子は、

小学生のうちから、

へりくだり方を知っている。

 

大きくなるにつれて、

だんだんと高度になっていくんだろうな。

娘とその友達との会話を聞いてて思う。

 

わたしも、中学生の時にはもう、

へりくだりゲームに参加してた。

5〜6年前くらいまでは、参加しつつも

へりくだりゲームに弱いわたしをダメだなぁと思ってた。

 

へりくだりゲームから降りたのは、

自己尊重という言葉を知ってから。

 

自己否定の塊りだったわたし。

自己尊重ってどうするのか、全くわからなかった。

子育てに行き詰まって、苦しくてたどり着いた。

まず母である自分を、尊重する。

 

小さなことでも、

当たり前だと思うことも、褒める。

少しの変化でも、認める。

変化しようとしていることも、褒める。

 

徐々に、自己尊重感って何かがわかってきた。

子どもに対しても、同じようにできるようになっていった。

子どもが、むちゃくちゃ可愛く思えるようになった。

 

その頃から、へりくだりゲームには参加しなくなる。

 

謙譲することを、よしとする社会で、

へりくだることをしないと決めたということは、

人間関係のツールを一つ失ったという事。

ギクシャクも、多々あった。

 

へりくだるというツールを使わなくなって、数年。

最近、少し気持ちに変化があった。

 

必要以上にへりくだることもないけど、

絶対へりくだらないって頑張ることは、

自分のダメな部分を、ちゃんと見てあげてなかった、

ということでもあった。

ダメな部分を、ないものとして扱っていた。

 

へりくだるなんて、

自分がかわいそうと思ってたけど、

ダメな部分をないものとして扱う方が、

かわいそうだったわ。

 

そういう変化があって、

最近は、へりくだりゲームを意識することが減った。

どっちでもよくなってきた。

 

でも、子どもをネタにしたへりくだりゲームには

参加しない。

それは、これからも変わらない。

親の言うことを、子どもは真に受けるのを

知っているから。

 

天気は変えられない

気分が優れない原因なんて
案外、ちょっとしたことかもしれない。

肌寒くって身体がこわばってるだけだったり、
蒸し暑くってイライラしちゃったり、
天気がどんより曇り空だったり、
低気圧が近づいてるせいだったり。

特に何もなくたって、
スカっと晴れた空を見たら、
心も晴れやかになったりする。

どんより曇り空。
あったかいお茶を飲んで
ホッと一息。

蒸し暑い日。
冷たいジンジャーエール
スッキリ。

天気は変えられなくても、
気分は変えられる。

気分が変わらなくても、
いつか天気は変わる。

 

変えるのは、前提だった。

人間関係が、つらかった。

うまく馴染めない自分はダメだと思っていた。

 

嫌われたくなくて、

嫌われるのを恐れて、

他人の顔色をうかがい、

自分を抑える。

 

でも、抑えきれずに、

一番不適切な時に、不適切なことをして、

結局嫌われたりする。

 

抑えきれなかったからだって、後悔して

さらにさらに、抑えつける。

悪循環。

 

間違ったことを言わないように、

印象のいいことを言わなくちゃ、

そう思えば思うほど、

言葉が出てこなくなる。

 

人が集まるところに一緒にいても、

感情を抑えて、

言葉もうまく発せないわたしは、

どこか得体の知れない人。

 

どうしたら、

会話がはずむんだろう。

どうしたら自然体で、

なめらかに言葉が出てくるんだろう。

 

変わりたかった。


自分に自信がないから、
ダメなんだ。
自信がないから、
顔色を窺うし、
自信を持って会話することができないんだ、
と思ってた。

どうしたら自信がつくのか?
いろいろなもので武装していく。
資格を取ってみる。
ものを作ってみる。
何か秀でたものがあれば、
自信になるだろう。
何をすればいいのか、探す日々
やってみては、違う、これも違う。

結局何をやっても、
自信になることはなく、
これは違ったと思うたびに、
ますますダメなんだと、自分を責めることになる。



自分を変えよう変えようとしてたけど、
変えるのは、前提だった。

嫌われてもいい。
失敗してもいい。
間違えてもいい。
自信がなくてもいい。

嫌われても、いいんじゃないの?
そもそも誰に嫌われたくなかったの?
嫌ってる人にまで、嫌われたくないって思ってたわ、わたし。

どうして間違えたらダメって思ってたの?
間違い、失敗、しちゃダメなの?
そもそも間違えたり失敗しないでいるって
無理だわ。

自信って何?
何かができることで、持つ自信は、
できなくなったら失う自信。
人と比べて、上がったり下がったりする自信。
そんな自信はいらない。

自信なくても、やってみる。
本当の自信は、経験が積み重なって、得られるもの。
まず、やってみる。失敗を恐れずに。

前提がかわったら、行動が変わった。

嫌われてもいいし、
間違っても、失敗してもいいのだから、
自分を抑える必要はない。
気持ちが楽になって、
言葉がすんなり出てくるようになった。

きちんとしなくちゃ、と緊張することも
減ってきた。

無理して、他人に合わせることも
減った。

沈黙が怖くなくなった。
喋ることがなければ、喋らなくていい。

できる範囲でいい、
できる時にすればいい。
できなきゃ、誰かに頼めばいい。

前提を変えたら、こんなに楽になる。

行動も変わる。

その積み重ねで、

自分も変わっていくだろう。

自然に、無理することもなく。