あるものでやっていく

少し前のことですが、

ある人にこんなことを言われました。

「もしあなたの目が緑色だけ見えない目だったら、どうする」

 

緑色だけ見えない目。

不便もありそうだし、

山々や森の緑を見られないのはさみしいことだけど、

そういう目なら、それでやっていくしかないな。

そのように思いました。

 

「あなたが欠点だ、短所だと思っているところも同じだよ」と。

 

コミニュケーションが下手なこと、

会話が弾んでいる場にいても、入っていくのが苦手なこと、

そもそもわたしの話すことに、説得力がなくて伝わらない。

というようなことを、その人に話してました。

 

会話が下手なのは、ダメなことで、

会話が上手なことは、よいこと。

そういう価値基準を持って、

どうしたら会話上手になれるのか、と悩んでいたのです。

 

緑色が見えない目は、ダメで、

見える目は、いい。

そんな価値基準はなかったので、

ないなりにやっていく、ということがストンと落ちました。

 

ないものねだりをしても、しょうがない。

 

コミニュケーションが上手で、

周りの人を惹きつけるような話題に豊富で、

いつも人に囲まれて、

説得力ある話ができて、

 

そんな人に、わたしはなれないし、

ならなくていいのです。

他の誰かになろうとしなくていいのです。

 

弾むように、なめらかに喋れなくても、

わたしの、考えながらポツポツ話すことばを、

しっかり聴いてくれる人が、たくさんはいなくても

ちゃんといる。

 

それで充分過ぎるくらいだわ。

そんなことに、今更気づかされた。

なんて愚かだったんだろう。