卑下する処世術

謙虚であることが

美徳とされいる。

大抵の人は、日常会話で

謙遜したり、卑下したりする。

 

そうしないと、反感をかう、のだと思う。

自分のことだけでなく、

家族のことも卑下する。

 

子どものママ友たち、

夫さんや子どものこと、

そこまで言うんだ、と思うほど

こき下ろす人が多い。

言いやすいんだろうなぁ。

夫さんや子どもは、分身扱いされている。

 

処世術なんだろうな、と思うけど。

それでも、

夫さんや子どもたちは、

こんな言われ方してるの知ったら、

嫌だろうな、傷つくだろうな、と思う。

 

自分だって、自分に卑下されたら

本当は嫌じゃない?

本当は傷ついてない?

 

わたしは、嫌だったよ。

傷ついてたよ。

卑下して謙遜しているその内側では、

尊敬されたいって思いもあったし、

自尊心が抑えつけられて、苦しんでいた。

 

子どもだった頃、

親が他人に

わたしのことを卑下して言っているのを聞いて、

深く深く傷ついてた。

 

振り返ってみると、

そうやって傷ついた自尊心を、回復する術や、

支えになるものを持ってなかったな、と思う。

大人になってからの生きづらさは、

自尊心の低さが影響した、と思う。

 

だから、本人の目の前で

子どものことを卑下するママ友に

ハラハラする。

その子が

自尊心を回復する術を持ってますように

と祈る。

 

親に卑下されて

自尊心が低下してしまった人は、

多いんじゃないかな。

 

目の前で言われてなくても、

親に卑下されてること、

妻に卑下されてること、

なんとなく感じるような気がするけど。

 

謙遜して、卑下する処世術は

形だけへりくだって、

驕り高ぶらない謙虚な人だと、

信用を得る。

 

偽善じゃない?

 

ママ友の会話の中で

夫や子どもをディスると、

「そうだよねー、うちも」みたいな

一体感がすぐ得られる。

 

卑下する処世術の影には、

信用を得て、

立場を確保したいという欲と、

承認欲求と、

同調して安心したいというような、

気持ちも含まれてると思う。

 

それらを得るために

払っている代償は、

大きい、と思う。

 

口では、謙遜していながら、

自尊心を保つために、

承認欲求を満たすために、

どこかで、小出しに、巧みに、

自慢と思われないように自慢する。

 

そんな複雑なことしないで、

自分のことも、他人のことも、

素直にいいところを認め合えるように

なればいいのにな。