ディスコミュニケーション

仲のいい人との間でも、

尊敬していたり、

考え方がすばらしいなぁと思う人との間でも、

話がずれてるな、と思うことがある。

 

言葉の指し示す意味合いが

微妙にずれてるのだと思う。

 

ズレが生じやすい言葉、

例えば「普通」。

例えば、「愛」。

「自信」という言葉にずれがあったこともある。

 

「普通」って、

だいたいこの辺りが普通だと思う範囲、

それぞれによって違うだろうなぁ。

ぴったり重なることはないだろうし、

全く違うこともあるかもしれない。

 

人それぞれ概念が違う。

言葉って難しい。

 

概念の、ちょっとしたずれに気がつかず、

互いの理解の方向を、

かけ離れたものにしてしまうこともある。

 

もうずいぶん前だけど、

バカの壁」という本が流行っていた。

手元に本がないので、正確な言葉じゃないけど、

そこには、こんなことが書いてあった。

 

情報 × 係数 = 反応(行動)

 

同じ情報を入力しても、

それぞれの持っている係数が違うので、

反応が違う。

 

虫、という情報に

興味の全くない人の係数はゼロ

反応は、全くなし。

 

逆に、係数が無限大の原理主義者は、

ちょっとした情報にも、

過剰に反応してしまう。

 

係数の違いによって、

伝えたいことが伝わらなかったり、

思わぬ反応が返ってきたり。

 

言葉に対する概念の違い、

情報に対する係数の違い、

一人として、ぴったり重なる人はいない。

 

ずれを抱えたまま、

理解と誤解の間のどこかへたどり着く。

 

コミュニケーションってきっと

そういうもの。

 

理解してもらえるはず、とか

理解できるはず、と思うのは

危険なことかも。

 

ズレが許せなくなってしまう。

 

最初から、ズレがあるものだと思っておけば、

無用な期待はしなくなる。

理解しあえなくても、

わからないことをわからないまま、

尊重しあうことは、できるはず。

 

あ、ちょっとずれてるかな?

噛み合ってないかも?

向いてる方向が違うかな?

そう感じた時、

相手の土壌に思いを向ける。

 

わたしとは、違う土壌なんだな。

考え方は、違うけど。

重なる部分で、協力しよう。

あまりにも掛け離れてる人とは、

距離をとって。

押し付けてくる人からは、

逃げるのが一番いい。

 

同じものを見ていても、

同じ言葉を使っていても、

人は、それぞれ違う。

 

それがわかってから、

少しコミニュケーションが

楽になった。