不人気ものでいこう?

周りにいる人たちから、

好かれていたいって気持ち、やっぱりある。

 

無理に好かれなくてもいいし、

嫌われることを恐れないのも大事って、

知った後でも、好かれていたいと思う気持ちは残っている。

 

好かれていたい、誰からも。

嫌いな人からも、好かれていたいって思ってたりする。

虫のいい話だけど。

 

あんまり人気ないから、

そういう思いが、消えないのかもね。

 

でも、いいんだ。

そんな自分も、しょうがなく、愛おしい。

 

映画を見た。

『先生と迷い猫』

イッセイ尾形が演じる元校長先生は

奥さんを亡くし、一人暮らし。

偏屈で、態度も偉そうだし、

肝心なところで言葉が少なくて、

不人気だ。

 

だけど、そんな不器用なところとか

一生懸命なあまりに起こす変な行動とか、

しみじみと、その存在の持つ可笑しみがにじみでている。

 

他人は、表面しか見ない。

よっぽど近しい相手でない限り、

接した一部だけしか、見ないし、

その後ろにある背景までは、見えない。

 

先生の偏屈なところだけ見て、

影で笑ったり、悪口を言ったりしている人には、

先生の優しさやユーモアは見えない。

 

関わる全ての人の、背景を知ることもないし、

背景を全て知ってもらう必要もない。

 

わたしの表面しか見ない人から

好かれてなくても、

いいんだよなぁ。

 

不器用でさ、右往左往して、

あっちぶつかり、こっちぶつかり、

なんだか、もがきながら生きているけど、

それはそれで良いと思う。

 

不器用で、歪んでるところのあるわたしを

大事にしてくれる人がいる。

そのありがたさ。

 

好かれたいって思う気持ちは、

きっと、何かの穴うめのようなもの。

承認欲求だ。

たくさんの人から好かれてるということが、

認められてるって基準になる気がするんだね。

 

人に認めてもらわなくても、

自分で自分を認めていれば、

それでいい。

 

自分で自分を認めていれば、

それでじゅうぶん。

 

自分の背景を一番よく知っているのは、

自分だから。