「最強のふたり」

友だちのすすめで

最強のふたり」という映画を見た。

 

実際にあった話がもとになった映画だそうだ。

 

脊髄損傷で、首から下が動かない富豪のフィリップ。

その介護役を選ぶ面接の場面。

いろんな人が面接を受けに来る。

媚びを売る人。

障害者を見下している人。

同情する人。

腫れ物に触るように接する人。

そんな応募者に、

フィリップは始終撫然とした様子。

 

そこに現れたドリスは、スラム出身の粗野な黒人の青年。

失業手当を貰うため、

就職活動をした証明が欲しくて来ただけ。

最初から、遠慮もなく、

同情することも、媚びもない。

富豪だとか、障害があるとか、

そんなことで垣根を作らない。

無表情だったフィリップの顔に

豊かな表情が表れてくる。

 

すごいな、と思った。

ドリスのようには、できない。

けど、ドリスのようでありたい。

 

わたしが、障害者の前にいた時に、

同情する気持ちを持つだろう。

見下すことは、ないと思うけど、

腫れ物に触るように接してしまうかもしれない。

 

何かができる、できない。

そういう価値観に縛られている。

できることは、すばらしい。

できないことは、ダメだ。

できなくてかわいそう。

そんな価値観から、

なかなか自由になれない。

そんなわたしがいる。

 

ドリスは、介護役としてフィリップに雇われる。

フィリップは、手助けがないと、

何ひとつできない。

 

何ひとつできなくても、

手助けをしてもらっていても、

だからといって、尊厳が損なわれることはない。

フィリップはフィリップなのだ。

映画を通して、フィリップに移入して、

それを感じることができる。

 

ドリスが、障害をネタに

ジョークを言ってフィリップをからかう。

印象的な場面。

 

ドリスは、自由だ。

フィリップの障害を

ただのフィリップの属性だと思っている。

背が高い低い、とか

そそっかしい、とか

忘れんぼうだ、とか

それくらいの温度で、障害を笑う。

フィリップを個人として尊重してるから

できること。

 

人生を楽しむこと。

何よりも大事なこと。

それは、障害があってもなくても同じ。

ドリスはそう思ってるんだろうなぁ。

フィリップを手助けするというよりも、

一緒に楽しんでる、そんな感じ。

 

雇う側と、雇われる側。

そこに上下はない。

世話をする人と、世話される人。

そこに優劣もない。

 

できる、できない。

上下、順位、

障害、健常。

そんな意識から自由なふたり。

 

わたしも自由でありたい。