怒られる

〜〜しないと、怒られる。

〜〜しちゃったから、怒られる。

 

なんだか、しょっちゅう

怒られることを、恐れている。

誰に?

 

もう40歳もとっくに過ぎて、

怒られることなんて、そうそうない。

ほとんどない。

怒られたこと、思い出そうと思っても

思い出せない。

たぶん、ない。

 

それなのに、心のどっかに

怒られることを恐れる何かが

埋め込まれている。

 

例えば、

ゴスペルクワイアの、練習日。

あー忙しくって

音源聞いてないわー。

歌詞も覚えてない。

 

怒られないのに、怒られる気分になっちゃう。

覚えておかなくて、

歌えなくって、充分楽しめないのは自分。

だから、楽しむために、覚えるもので、

怒られるから覚えるのでは、ない。

 

それなのに、

怒られるって気分になるのは、なぜ?

 

この、怒られるって恐れを持ってる人、

多い気がする。

 

小さい頃の、育てられ方もあるかな。

怒られたことが多かった。

学校では怒られたことは

あまりなかったけど、

怒られる人を見てたりして、

すりこまれてる、と思う。

 

怒られないようにする。

そういうモチベーションの保ち方は、

健全じゃない。

 

少年野球の子どもたち。

怒られたくなくて、思考が停止する。

とっさの判断ができなくて、

右往左往。

失敗を怖がる、怒られたくないメンタリティ。

見ていて、もどかしい。

 

大人が子どもにぶつける怒り。

大人の都合のいいようにしたい、

ということなんだろうなぁ。

 

だから、40歳を過ぎても、

誰かに怒られると思ってしまう

恐れ、怯えが、

消えない。

 

少年野球の当番。

他の予定も優先させたいから、

減らしてもらう。

その時感じる罪悪感。

 

みんな、怒ってるかも。

そんな恐れを抱く。

怒ってる人もいるかもだけど、

怒ってない人もいる。

 

自分の都合を優先させるのに

罪悪感を感じなくても、いいのに。

感じる同調圧力

 

怒りをぶつける大人も、

怒られるって恐れを抱いている大人も

未熟だな。

もちろん、自分も含めて。

 

こないだ、ある人に意見を伝えた。

怒りは感じてたけど、

極力ぶつけないよう、冷静に

意見と気持ちを伝えた。つもり。

 

そしたらね、もう60歳に近い年齢の方なのに、

反応が、なんというか、

お母さんに叱られた子どものようだなって

感じたの。

 

あ、怒られるって感覚が、

その人のどこかにも、深く根づいているのだな。

と、そんなことを思った。