ダメ出しは愛のムチ?

子どもを育てるように、
自分の中の子どもに接していこう、
ということを、前回書いた。

否定しないで、
ダメ出ししないで、
まるごと、その存在を認める。

親として、実際に子どもにできてるかというと、
難しいなー。
心がけては、いるのだけど。

欠点はなるべく直さなければならない、
成長しなくてはならない、
という価値観に、結構しばられていた。
まだそこから自由になってはいない。

ダメ出しして、欠点を直して、
成長させる。
ダメ出しは、愛のムチ。
それを、今まで疑わずにきたけれど
そうやって育ったわたしは、
自尊心が低いまま、生きづらさを抱えて
大人になった。

ダメ出しは、愛のムチでは
なさそうだね。

でも、ダメ出しされることを求める気持ちもあるの。
関心を持ってくれてる、
心配をしてくれてる、
それが欲しかったんだと思う。
愛ではないのに、愛だと思ってた。

ダメ出しって、
結局は都合のいいように相手を変えたい。
ってことだったりする。
心配も、
自分の不安を相手に押し付けてる、
だけだったりする。

わたしは、自分に対して、
ダメ出ししてきた。
じぶんをまるごと受け入れていなかった。
自分を都合のいいように変えようとしてた。

何かが欠けてる、何を得ればいいんだろう。
劣等感、罪悪感が漂っている。
なんとなく、不安。
満たされない思い。

何も付け加えなくてもいいよ。
それが、わたし。
いまの、わたし。

どんな自分も自分。
何かが欠けてるなら、欠けてるのがわたしのかたち。
そのまま、欠けたまま、やっていく。
こんなわたしでも、できることがある。

欠けたところを抱えたまま、まるごと受け入れる。

それは、いいところがあるって
褒めて、
頑張ってる、ありのままでいいって
肯定したフリとは違う。

自分って何かを、
深く理解する。
イタイところも、欠けてるところも。
怒りが渦巻いてる醜い部分も。
それを抱えた、まるごとの自分を受け入れる。

今までしてきたことは、
長年のクセになっていることは、
急には、変えられない。
今日だって、ダメ出ししているわたし。

仕方ない。
今のわたしは、そうだということ。

徐々に、自分を受け入れる。
きっと、ダメ出しも減っていく。

自分に対して、
まるごと受け入れることができたら
子どもたちのことも、
自然に、まるごと受け入れることが
できるようになるだろう。