普通になりたい

子どもの頃から、

わたしは「普通」ではない、という思いがあった。

どこかがはみ出ている。

「普通」の人たち中が、居心地が悪かった。

 

なんでわたしは「普通」じゃないんだろう。

「普通」になりたい。

「普通」にあこがれ、

「普通」のふりをした。

 

自分を「普通」になったと思うことは、

一度もない。

 

同時に、「普通」を突き抜けて、

輝いている人にも憧れる。

 

どっちつかず。

どっちにもなれない。

 

立ち止まって考える。

「普通」ってなんだろう。

 

わたしの思う「普通」っていうのは、

多数派のことだ。

大勢が支持することが、

正しいことだと、どこかで思っていた。

多数決でものごとが決まる、

そんなことからも、すりこまれていたのかも。

 

それじゃぁ、「普通」になるということは、

その他大勢になるということだったのか。

大勢の価値観に合わせるということだったのか。

 

自分らしく生きたいと思う気持ちと、

真逆だね。

 

「普通」になりたいと思うと同時に、

自分らしくありたい、とも思っていた。

どっちつかずになる訳だ。

 

今は「普通」になれないことを受け入れている。

わたしは、マイノリティだ。

 

でも、「普通」を突き抜けて、

輝かやいているわけでもない。

そこを目指すと、

今度は「普通」を見下してしまいそうな気がする。

 

「普通」でもない、

「特別」でもない、

わたしは、わたし。