等身大の自分

何か不具合が起こると

わたしのせいだって思うクセがあった。

 

不機嫌な人がいると

わたしが怒らせた?って思った。

 

要求に応えないとならないって思ってた。

要求に応えられないわたしは、ダメな人なんだと思ってた。

 

自分のニーズより、

他人のニーズを先回りして満たしてあげようとする。

そうしないと、好かれないと思ってた。

 

嫌われることを恐れてた。

自分が嫌いな人からも嫌われたくなかった。

 

そうやって、

他人の顔色をうかがってばかりだった。

 

がんじがらめ。

おどおどして、緊張して、

自分はどこにもいなかった。

 

なんか好かれない。

仲良くなりたい人たちと、仲良くなれない。

仲間に入れてもらえない。

わたしの努力が足りないのかな?

間違ったことを言っちゃったかな?

もっと他人の気持ちがわかるようにならなくちゃ!

もっとがんばってあわせなきゃ!正解を探さなきゃ!

 

頑張れば頑張るほど、からまわり。

ますます緊張して、こわばって 、

自然体からは、遠のくばかり。

 

ますます好かれない。

わたしってダメなんだなって、

こんなに合わせようってがんばってるのに。

自分をいじめる日々。

 

自分の意見なんて、なかったの。

他人に求められることを言わなくちゃって思ってたから。

そして「間違ったことを言わないように」とか

「印象のよいことを言わなくちゃ」などと思えば思うほど、

言葉は出てこなくなる。

 

他人の顔色をうかがうから、

わたしがどこにもいなかったから、

ひととうまくつきあえなかったんだわ。

頑張る必要なんてなかったんだわ。

 

がんじがらめに縛られていたのを、

少しずつ少しづつ、

ほどいていく。

 

見ようとしてなかった自分のイタイ部分。

隠そう隠そうとしていたところ。

目をそらさずに、ちゃんと見る。

過信も卑下もしない。

等身大の自分を知る。

 

会話を盛り上げるのが上手で、

出会ってすぐ仲良くなれる人たち。

とても楽しそうで、うらやましいなーって思ってた。

今でも、思ってるよ。

仲良くなれたら楽しそう。

 

でも、そんな会話の中心にいる人たちにばかりに

目がいってたけど、

世の中そんな人たちばかりでもない。

そんなことを改めて気がつく。

 

他人を惹きつけるようなしゃべり方はできないけど、

言葉をひとつひとつ噛みしめて話す人。

テンポよく言葉は出てこなくても、

相手の話をじっくり聴く人。

そんな人たちも、ちゃんといて、

そういう人たちと話しをして、

なんかホッとしてるわたしがいた。

 

その人たちは、わたしの姿。

自分をちゃんと見てなかった時は、

目に映らなかった。

 

世界は、自分を映し出す鏡だ。