境界線を引く

相手の顔色をうかがったり、

相手の反応に一喜一憂したり、

つい、下手に出たり、

誰かに言われた一言を、いつまでも思い煩ったり、

嫌なことを、嫌と言えなかったり。

 

行動の基準が、他人軸。

他人に振り回されて、

自分がない。

苦しいね。

 

自分軸に戻るために、

境界線を引こう。

 

相手の反応に、責任を持たない。

相手が不機嫌なのは、

わたしのせいではない。

 

何か悪いこと言った?

何かまずいこと言った?

相手の態度に、考えてしまう。

でも、その人は不機嫌な態度をする人、

ただそれだけのことが多い。

わたしのせいだった時は、

ごめんなさいと、言えばいい。

先回りして考える必要はない。

 

嫌われたくない、とか

よく思われたいって気持ちから、

ついつい下手にでたり、

嫌と言えずに

自分の許容量を越えて引き受けたりしてた。

それもやめよう。

 

どこまで自分が引き受けるのか、

自分で決める。

他人の反応によってではなく。

 

嫌なことを言われたり、

傷つくことを言われたり、

その言葉に囚われて、引きずらない。

その人は、そういう考えなだけ。

わたしは、わたし。

その人とは違う考えなの、違う捉え方なの。

 

わたしはわたし、人は人。

 

そこには、違いはあるけど、

好き嫌いはあるけど、

正しい、間違ってるはない。

相手の境界線も、尊重する。

 

境界線を引く。

線の内側には、

他人の都合、

他人の意見、

他人の評価、

他人の反応、

他人の機嫌、

他人の視点

そういうものは、入れない。

 

土足でづかづか入ってこようとする人からは、

できるだけ距離をおく。

 

境界線の内側では、

わたしの感覚で、

わたしの都合を優先して、

わたしの考えで、

どうするか決める。

 

わたしが機嫌よくいられるために、

わたしが心地よくいられるために。

 

人の顔色をうかがって、

嫌われないようにって緊張している

わたしでいるより、

機嫌よく、心地よく、リラックスしている

わたしでいた方が、

きっと、周りの人も心地がいいはず。

 

人の顔色うかがうなんて、

ろくなことじゃなかったね。

 

他人の視線を気にすることなしに、

自分の素直な欲求を、

自分で聞き取る。

 

そのために、きちんと

境界線を引く。

完璧主義

すごいな、

ステキだな、と思う人

たくさんいる。

 

一緒にいてホッとする、あったかい人。

芯がスッと通っててぶれない人。

周りを和やかにさせる気配りの人。

明るくて、おおらかな人。

見通しの効く頭のよい人。

しなやかで柔軟性のある人。

 

みんなステキ。

そう思う心の奥で、

そうなれないわたしが引け目を感じてる。

 

イラッとさせられる人

近寄りたくない人も、いる。

 

不機嫌な人。

愚痴や悪口ばかりの人。

トロくって、頭の悪そうな人。

視野が狭くって、偏った人。

人の話を聞かない、愚かな人。

人を嘲って見下す人。

自分がなくて日和見な人。

自分さえよければいい、ずるい人。

 

嫌だな。

でも、自分も持っている、嫌な部分。

 

ステキな人を、ステキだと思いすぎるのも、

嫌な人のことが、気になってしまうのも、

根っこは同じ、完璧主義だから。

 

自分を肯定していない。

だから、あれが足りない、

あんな風になりたい、

そう思って人をみる。憧れる。

そうなれない自分を、否定している。

完璧になりたくて、なれない自分。

 

人の嫌な部分が、目につく。

なんで、こんなひどいの?

頭わるいなー、腹たつ!

人の話聞いてる?

人にも完璧を求めて、完璧じゃない人に憤る。

 

完璧なんて、どこにもない。

誰も完璧じゃない。

よい部分もあって、ダメな部分もあって、

優れたところもあって、欠けたところもあって、

それが自分。それが人間。

 

完璧主義。

自己肯定感が足りてない。

自分を否定して、他人も否定する。

ありのままを、認めない。

 

生きづらいね、完璧主義。

 

ちょっとづつ、ちょっとづつ、

等身大の自分を、認めていこう。

完璧じゃなくて、いいんだよ。

 

欠けたところがあって、

イタいところがあって、

それがわたし。

 

どんなに愚かにみえても、

どんなにひどい人に思えても、

それは、その人の一側面。

 

完璧じゃなくって、いいんだよ。

 

自分を認められるようになれば、

きっと、人のことも認められる、

気にならなくなる。 

 

戻ってしまったら、やり直せばいい

人からどう思われるかが気になって、

素直に、自分を出せなかった。

 

取り繕ったり、

ダメなところを隠そうとしたり、

よく見せようとしたり。

 

気の利いたことや、

印象的なことを言おうとして

言葉が出てこなくなった。

 

自分を素直に表現できないのは、さみしいことだ。

おしゃべりの輪の中にいても、取り残された気分。

新しい関係が、深まることもない。

疎外感を味わう。

 

こんなのは、嫌だな。

 

家族以外でも、

素直に自分らしくいられるようになりたい。

 

そう思って、自分を見つめ始める。

 

よく見せようとしても、

所詮はハリボテ。

自信がないから、実質が伴わないから、

よく見せようとするんだなぁ。

 

だけど、ダメな部分、

コンプレックスを隠そうとするのも、

よくないわ。

 

よく見せたい。

隠したい。

どちらも、同じこと。

等身大の自分ではない。

 

よく見せたい、

過信に陥っている部分を、みる。

誇らしく思うとか、誇りたいとか、

落とし穴だね。

他人目線で評価されようとしていることが、

そもそも違う。

自分で静かに満足していれば、

他人にどう思われるか、関係ないはず。

ちっちゃなプライド、削ぎ落とそう。

 

隠したい。

ダメな部分、みられたくない。

失敗を恐れる。恥ずかしい。

あ、これも

わたしこんなダメな人じゃないはずって

過信からきてたのかも。

ダメな部分、ダメって言ってるのは

他ならぬ自分。

本当にダメなのか。落ち着いて考えよう。

 

等身大の自分。

いいも悪いもない。

 

よく見せようとしない。

コンプレックス、曝け出さないけど、

並べておく。

これがわたし、と言えるように。

 

だいぶ楽になった。

言葉が、自然に出てくるようになった。

身構えたり、緊張することが、減った。

 

だけど、気を抜くと

すぐ戻る。

またよく見せようとしているわ。

また隠そうとしているわ。

おどおど、反応うかがってるわ。

 

ずっと長い間そうやってきたこと。

すぐには治らない。

癖になってること、習慣になっていたこと。

すぐには変えられない。

 

戻ってしまったら、またやり直し。

自分を見つめる。

等身大の自分を受け入れる。

 

10進んで、戻ったとしても

10全部は戻ってない。

少しづつ少しづつ進んでる。

 

「最強のふたり」

友だちのすすめで

最強のふたり」という映画を見た。

 

実際にあった話がもとになった映画だそうだ。

 

脊髄損傷で、首から下が動かない富豪のフィリップ。

その介護役を選ぶ面接の場面。

いろんな人が面接を受けに来る。

媚びを売る人。

障害者を見下している人。

同情する人。

腫れ物に触るように接する人。

そんな応募者に、

フィリップは始終撫然とした様子。

 

そこに現れたドリスは、スラム出身の粗野な黒人の青年。

失業手当を貰うため、

就職活動をした証明が欲しくて来ただけ。

最初から、遠慮もなく、

同情することも、媚びもない。

富豪だとか、障害があるとか、

そんなことで垣根を作らない。

無表情だったフィリップの顔に

豊かな表情が表れてくる。

 

すごいな、と思った。

ドリスのようには、できない。

けど、ドリスのようでありたい。

 

わたしが、障害者の前にいた時に、

同情する気持ちを持つだろう。

見下すことは、ないと思うけど、

腫れ物に触るように接してしまうかもしれない。

 

何かができる、できない。

そういう価値観に縛られている。

できることは、すばらしい。

できないことは、ダメだ。

できなくてかわいそう。

そんな価値観から、

なかなか自由になれない。

そんなわたしがいる。

 

ドリスは、介護役としてフィリップに雇われる。

フィリップは、手助けがないと、

何ひとつできない。

 

何ひとつできなくても、

手助けをしてもらっていても、

だからといって、尊厳が損なわれることはない。

フィリップはフィリップなのだ。

映画を通して、フィリップに移入して、

それを感じることができる。

 

ドリスが、障害をネタに

ジョークを言ってフィリップをからかう。

印象的な場面。

 

ドリスは、自由だ。

フィリップの障害を

ただのフィリップの属性だと思っている。

背が高い低い、とか

そそっかしい、とか

忘れんぼうだ、とか

それくらいの温度で、障害を笑う。

フィリップを個人として尊重してるから

できること。

 

人生を楽しむこと。

何よりも大事なこと。

それは、障害があってもなくても同じ。

ドリスはそう思ってるんだろうなぁ。

フィリップを手助けするというよりも、

一緒に楽しんでる、そんな感じ。

 

雇う側と、雇われる側。

そこに上下はない。

世話をする人と、世話される人。

そこに優劣もない。

 

できる、できない。

上下、順位、

障害、健常。

そんな意識から自由なふたり。

 

わたしも自由でありたい。

 

仕方のない人ですね

気つけてないと、

すぐに、りっぱになろうとする。

 

怒らない。

感情を露わにしない。

悪口を言わない。

勤勉に働く。

人に親切にする。

人を不快にさせない。

 

あれれ、あっという間に他人軸に後戻り。

 

怒ちゃうのよ、怒りが溜まってるから。

感情を出していこうって決めたのよ。

悪口だって、言うのよ。そう思うんだから。

 

そう、わたし、仕方のない人なのです。

 

今まで、自分より他人を優先にしてきた。

係や当番を引き受ける。

たくさん働くのは、何のため?

悪く言われたくなかった。

認められたかった。

 

ひとに親切にする。

自分を押し殺してまで?

自分を我慢させてまで?

そんな親切、されたら嫌だわ。

まず自分が満たすことが先。

人間は自分を満たしても、

必ずいくらか余るようにできているそうだ。

人のことを考えられるのは、それから。

わたしの器、

今はその程度しか満たされてない。

 

人を不快にさせないために、

あわせていく。主張しない。

今までそうしてきたけど、

不快さを表してきたり、

怒ってきた人は、たくさんいた。

相手は相手。

そこまで相手に責任を感じなくていい。

 

りっぱじゃないのだから、

りっぱなフリ、しない。

自分の器以上であろうとしない。

 

自分の器より、大きくなろうとすると、

手っ取り早く大きく見せようとしてしまう。

人を、小さな器に見立てて、

自分の器が大きくなったように、

自分を錯覚させたりする。

 

それは、したくない。

誰かを傷つけるし、

自分も傷つける。

 

すごい自分になろうとすると、

できる自分になろうとすると、

無理をして、クタクタになり、

人を見下して、ボロボロになる。

 

わたしは、しかたのない人。

 

嫌なことは、断る。

周りの意見に、流されない。

ひとにどう思われるかは、考えない。

自分の感じるままに、思うままに。

 

それでいいのです。

だって、仕方のないひとだから。

 

うす汚れた感じ

先日、お友だちとお話ししていたら、

そのお友だちが、

自分の中がうす汚れた感じがすると

言っていた。

 

自分否定感が強い彼女。

敏感で、繊細で、

周りの人の気持ちを、

必要以上に察しようとする。

生きづらい。

 

わかるんだ〜。

そのうす汚れてるって感じ。

わたしもそうだ。

 

ハツラツとして、明るかったり、

穏やかで、感情のコントロールが上手だったり、

一本芯が通っててぶれないような人の前にいると、

なんだか、わたしうす汚れてるって、

思っちゃう。

 

また別の友だちに会う機会があって、

悩みを聞いた。

この友だちも、自己否定感が強い。

生きづらさを抱えている。

いろいろなことが重なって混乱していた。

話しながら、ものごとを整理して、

考えていった。

 

友だち、ふたりとも、

自分らしさを素直に出して生きていけるように

なれますように、と思う。

楽になりますように、

心から思う。

 

少し前の自分と、重なる。

振り回されて、自分がなく、

混乱している。

堂々めぐりをして、

抜け出せない日々。

 

わたしが、彼女たちを見るとき、

混乱している彼女たちを、

うす汚れている感じがするなんて、

決して思わない。

よりよく生きたい、と願う心の奥に

きれいな魂の存在を感じる。

 

あぁ、そうなんだよね。

他人は、うす汚れてるなんて

思ってないよ。

自分で、自分を

曇ったフィルターで見ているだけ。

 

自己否定の曇ったフィルターでみると、

自分がちっちゃくて、

うす汚れて、

取るに足らない存在のように思ってしまう。

どこかに隠れたり、消え入りたいように

思ってしまう。

 

でもそれは、

ただ曇ったフィルターのせいだ。

 

わたしが、他人を見る目を通して、

他人が見るわたしを知る。

だれも、うす汚れているように見ていない。

人も、うす汚れているとは見ていないだろう。

 

うす汚れたように感じている時は、

自己否定感が、強くなっている時。

時々曇るフィルター、

自分を信じる心で、曇りを取り除こう。

 

 

わたしのテロワール

先日、家族で

中田雅史さんのライブに行ってきた。

中田さんの新しいアルバムのタイトルが

「僕らのテロワール

 

美味しい和食をいただきながら、

アットホームな雰囲気で、

その空間そのものが、

そこにいた全員のテロワールであるのだな、

と思いました。

 

テロワールとは、ワインの用語で、

日本語にぴったりと当てはまる言葉が

ないそうなのですが、

ワインの素となるブドウが育つ

「環境」「土壌」「気候」「場所」「人的要因」など

総合的に形成される特徴を

指すそうです。

 

わたしが、今のわたしになるための

テロワール

生まれ育った場所、家庭環境、出会った人々、

交わした言葉、

四季の巡り、読んできた本、

聴いてきた音楽、旅して訪れた土地、

何一つ欠けても、

今のわたしにはなっていなかったでしょう。

 

すべては、縁で、できている。

 

中田さんのことを知ったのは、

家族の大事な友だちの、友だちだったから。

ライブの会場の和食のお店は、

夫の仕事上のつながりがあったから。

そして、中田さんと和食屋さんも、

別のところで繋がっていました。

 

そうやって、

はりめぐらされている繋がりが

テロワール

 

うちの子供たちにとって、

中田さんとの出会いは

大事なテロワールになったことと思います。

 

ひとりの人として、

尊重して、接してくれたこと。

その時のうれしそうな顔。

中田さんの歌を聴いて、

中田さんの生き方に触れて、

子どもたちの中で、その思いが

静かに熟成していくのを

感じます。

 

そして、もちろん

わたしのテロワールにとっても、

大事な出会いとなりました。