循環する

すべてのものは、循環する。

地球の中のことは、地球の中で完結する。

動物や植物が生まれ、死んで、

微生物が分解して、土になる。

またそこから、新しい命が生まれる。

繰り返し、繰り返し。循環する。

 

雨が降って、川となって流れ、

海に注ぎ、蒸発して雲になり、循環する。

 

雨によって、植物が潤い、それを食べる動物がいて、

命が育まれ、全てが循環する。

 

太陽の光に包まれて、

月の引力に導かれて、

宇宙に目を向けると、そこにも循環がきっとある。

 

関わりのない存在はなくて、

すべての命が完結して、繰り返す。

この地球上で。この宇宙の中で。

 

目に見えない、土の中のできごと、

目に見えない、宇宙の営み。

 

目に見えないけど、

そう言ったものが、

命を支えている。

 

わたしの命も、

あなたの命も、

すべての命が。

 

 

 

 

 

感情の奴隷

「インサイドヘッド」という映画を見た。

以前、映画館で子どもたちと一緒に見て、

今回は、家で見た。

 

子ども向けだけど、かなり深い内容。

心理学の用語がよくわからないから、

正確な言い方ではないかもしれないけど、

自己と感情の在り方がよくわかる。

 

人間は、感情の奴隷だ。

映画では、感情に操られている様子が

可視化されている。

 

操られている、とは言っても、

感情は主人公のために、一生懸命なのではある。

操ろうとして操っているわけではないけど

怒りに任せて取り返しのつかない行動にでたり、

喜びを良しとするあまり、悲しみをないがしろにして、

こじらせてしまったり。

喜びが浮かれて、軽率な行動をしたり。

 

自分に振り返っても、同じだなと思う。

感情に振り回されている。

感情が、衝動的に反応して行動を起こす。

感情の奴隷だ。

 

食べる量を減らそうと思っても、

ついつい、食べたい!に負けてしまう。

優しく穏やかでありたいと思っても、

怒りを刺激されると、ぶちまけてしまう。

チャレンジしなくちゃならない場面に、

怖いという気持ちが出てきて尻込みしてしまう。

楽しそう、面白そうと、はしゃいで、

周りがみえなくなってしまう。

 

出てくる感情は、自分では変えられない。

 

人間は感情の奴隷、

だけど、感情とうまくつき合う方法も

映画の中にヒントがあった。

 

感情をないものとすると、こじらせること。

感情を、感じ尽くすと収まっていくこと。

それぞれの感情を大事にすると、調和がとれること。

 

感情をキャラクター化して、

頭の中を映像化する。

そうやって

感情を自分から少し距離を取るのも

役立つと思う。

 

感情を引き起こす過去の記憶を

知っておくのも、

役立つかもしれない。

 

出てくる感情は、自分では変えられない。

変えられるとしたら、その後の行動。

感情に反射して即行動、

だといつまでも奴隷のまま。

感情と行動の間に、何かを挟む。

時間をおいたり、距離をとったり、

意志の力を挟んだり。

 

これも、すぐには上手くはできない。

ちょっとづつ、ちょっとづつ、

奴隷であることから解放される。

一気にしようとすると、

捕まっちゃうから。

 

感情を、コントロールすることはできない。

抑えることも、

ないものにすることも、

取り替えることも、

できない。

感情が主、本体は従。

 

本体であるわたしにできることは、

感情と上手く付きあうことだけ、

だと思う。

ずっと守られていた

気がつくと、肩に力が入っている。

別に緊張するような場面でなくても。

 

肩がよくこる。

 

リラックスしよう、

力を抜こう、

そう思って意識しているときだけ、

少し力が抜ける。

 

だけど気がつくとまた、

肩に力が入っている。

 

体の癖。

肩に力が入る、

わたしのそんなからだ。

 

今日、カウンセリングを受けた。

 

体に意識を向ける。

いつものように肩に力が入っている。

 

からだの声を聴く。

力の抜けない肩に、聞いてみる。

「力を入れていることで、得していることは何?」

 

肩から返事があった。

「そうしていないと、守れない」

 

ずっと、守ってくれていた。

わたしを傷つけるものから。

(もしくは、そう思い込んでいたものから)

 

いつも、守ってくれていた。

思わず、涙が出る。

ずっと健気に守ってくれていた肩に。

 

肩からの声。

間違いなく、わたしの中から聴こえてきた声。

だけど、その言葉は思いもかけないものだった。

 

小さかったわたしが、思い浮かぶ

ポツンとひとり、立っている。

どうしていいのかわからず、

心もとない思い、不安な気持ち。

周りに、何がいるかわからない。

怖い。

 

そんな時、肩がぐっと力を入れて、

小さなわたしを抱きしめるように

守っていた。

 

気がつかなかった。

重たい肩を、疎んじていた。

ごめんね、こんなに必死に守っていてくれたのに。

ありがとう、おかげで切り抜けられたことが、

きっとたくさんある。

 

そう感じただけで、

肩の力が、自然に、少し抜けていく。

 

からだの不調、痛み、違和感、

すべて意味がある。

 

ずっと守ってきてくれた肩。

ありがとう、お疲れさまだったね。

小さい頃のわたしより、

今のわたし、きっと強くなってるよ。

痛くなるくらい頑張ってくれなくても、

大丈夫。

 

選択できる

素直な気持ちを出していく練習をしている。

なるべく、その場その場で思ったことを、

言っていく練習。

 

何か言おうと思っても、

発言を求められる場面でも、

言葉が出てこなかった、以前のわたし。

ただ、にこにこしてその場をごまかす。

 

練習のおかげで、

だいぶすんなりと出てくるようになった。

その調子、

と思っていたら、

こないだ、ある人を非難する言葉が、

すんなり出てきてしまった。

 

悪口を言ってしまった。

あらら。

 

一瞬、しまった!という思いが

頭の中を過ぎる。

 

人の悪口は言わないって、決めていた。

絶対言わない。

 

人間関係を壊したくないから。

愚かな人と思われたくないから。

人を悪く思うような人に思われたくないから。

 

要するに、保身のため。

しまった!と思ったのも、

何か面倒なことになったら嫌だなぁ、

ということ。

 

まあ、しょうがないか。

言ってしまったものは。

開き直る。

 

以前は、イヤだよね、と言う自由を

自分に与えてなかった。

 

自分は相手をイヤだよね、って思っているのに、

相手からは嫌われたくないと思ってた。

 

相手をイヤだと思う自由があるのだから、

相手が、わたしをイヤだと思う自由も認める。

嫌われてもいいわ、嫌いなひとから。

 

そう思って、なるべく距離を取る。

避けることもないけど、

わざわざ一緒にいることもない。

 

距離を、自分で決める。

 

結局、しまった!というような

面倒なことには、ならなかった。

距離を取っていれば、

困ったことには、ならない。

ということがわかった。

 

同じ場に無理に居ようとすると、

嫌われたり、非難されたりすることは、

困ったことになるけど、

距離を置いておけば、

嫌われたり、非難されても、

全く困らない。

 

簡単なことだった。

 

これからは、

選択できる。

悪口を言ってもいいし、

言わなくてもいい。

 

人の悪口を言うのは、

気分的にはあまりよくない。

だから言わないって選択してもいい。

それは、絶対言わない、とは違う。

 

言わないを選択している。

言うを選択しようと思ったら、

それもできる。

悪口を言っても困らないように

対処できるってわかったから。

 

ひとつ、自由が増えた。 

いつでもベストを尽くしてる

どんな失敗も、

どんなに後から悔やんだことも

その時は、それがベストだったんだと思う。

それ以上はきっとできなかった。

 

どの時を切り取ってみても、

わたしはいつだって

よりよく生きたいと思ってたし、

和やかに穏やかに、

周りの人と仲よくしたいと思っていた。

 

だけど、そう思っていても

対立したり、

波風がたったり、

嫌ったり嫌われたり、

うまくいかなかったことが、たくさんある。

 

誰かの言葉に、深く傷ついたり、

反論したくなったり、

誰かの態度に、神経を逆なでされたり、

言わなければいいことを言ってしまったり、

冷たい態度をしてしまったり。

 

数々の後悔。

でも、それは

満たされてなかった心が、

そういう反応をするしかないと、

それが一番の反応だと、

選んだものだ。と思う。

 

大事にされたいのに、

今まで大事にされてこなかったのに、

この人もわたしを大事にしてくれないの?

そんなの耐えられない!

という反応だったり。

 

なんとか自分を保つために、

守ってきたやり方を、

変えられなかったり、

他に方法を知らなかったり、

知っていてもできなかったり。

 

つまり、

あんなこと言うんじゃなかった、

あんな態度をとるんじゃなかったって

後から思っていても、

その時には、他に選択肢はなかった。

気がつくと、そういう反応をしてしまっている。

 

それしかなかった。

それしかできなかった。

 

誰かの言葉や態度に

傷ついたり、イラッとしてしまうのも、

感情を抑えたり、

我慢して押し込めて、もんもんとしたりするのも、

全部自動的に反応してしまっている。

 

傷つくほどのことではないのでは?

イライラすることではないのでは?

我慢してそのことばかりに囚われたり、

何日ももんもんとかんがえたり、

後から、間違っていたと思ったとしても、

その時は、それしか選択肢はなかった。

反応は自動的に起こっている。

 

それしかできなかった。

それが精一杯だった。

それがその時の、わたしのベストだった。

 

きっと、どの人のどんな反応も、

それがその人のベスト。

その人の中に脈々と積み重ねられてきたものが、

心の傷やトラウマやカルマ、遺伝的なもの、

先祖から受け継いできたもの、

そんなものが、反応させている。

自動的に起こっている。

 

ベストだった、精いっぱいだった、

そういう自分を認めよう。

人間ってそういうものだって、受け入れよう。

 

大事なのは、これからのこと。

したくはなかった反応が、

なるべく出てこないよう、

傷ついている自分を癒そう。

自分でも気がついてない、深い傷も。

少しづつ、じっくりと。

小さな満足

人に嫌われないよう、

顔色をうかがって、

神経をすり減らしてきた。

ヘトヘトだった、以前のわたし。

 

自分の素直な欲求に従って、

自然な自分でいられるように。

そんな自分になるために、

自分の心の声を

聴いてみる。

 

わたしはどうしたいの?

ずっと相手に合わせてきたから、

聞かれても、よくわからない。

根気よく、時間をかけて聴いていく。

長年やってきたことは、急には変わらない。

焦らずに、少しづつ。

 

自分の素直な欲求って、こんな感じかな。

少しわかってきた、楽になってきた。

そう思ったら、また戻ったりする。

戻ったら、またやり直し。

そうやってちょっとづつ進む。

 

急には変わらない。いっぺんには変わらない。

わかっていても、もどかしかったり、

焦ったり、

変わってないような気がして、

へこんだりしちゃうんだわ。

 

そんな時は、小さな満足を見つける。

 

窓をピカピカに磨く、とか

片付けて花を飾る、とか

洗濯ものをきれいにたたむ、とか。

ほんの些細なこと。

小さな達成感の積み重ね。

 

ゆっくり本を読む。

お気に入りのレシピでシフォンケーキを焼く。

おいしいコーヒーを淹れて飲む。

子どもとおしゃべりをする。

音楽を聴く。歌を歌う。

ささやかな楽しみ。

小さな幸せも積み重ねていく。

 

自分を変えていくことは、大きな目標。

 一気に変わったら、戻るのも一気だ。

焦らずに、じっくりと。

変化は少しづつの方が、確実。

 

もどかしくなったり、

進んでないような気になったり。

そんな時は、小さな達成感が支えてくれる。

 

変わろう変わろうと、焦らなくても

小さな満足、小さな達成感、

小さな幸せの積み重ねが、

大きな充実に繋がっていく。

 

むしろ、そんな日常を大事に過ごすことで、

自分の声が聴こえてくるようになるのかも。

小さな欲求なら、聴き取りやすい。

 

今、何をしたいの?

どうしたら充実する?

何に満足する?

何が楽しい?

小さなことでいいから。

ひとつひとつ、聞いていく。

 

小さなことが、むしろ大事。

 

そうやって小さなことを

丁寧に聴き取っていくと、

そのうちに

もういちいち聞いたりしなくても、

自然に自分の素直な気持ちが

わかってくるような気がする。

 

今日も小さな満足を

みつけよう。

境界線を引く

相手の顔色をうかがったり、

相手の反応に一喜一憂したり、

つい、下手に出たり、

誰かに言われた一言を、いつまでも思い煩ったり、

嫌なことを、嫌と言えなかったり。

 

行動の基準が、他人軸。

他人に振り回されて、

自分がない。

苦しいね。

 

自分軸に戻るために、

境界線を引こう。

 

相手の反応に、責任を持たない。

相手が不機嫌なのは、

わたしのせいではない。

 

何か悪いこと言った?

何かまずいこと言った?

相手の態度に、考えてしまう。

でも、その人は不機嫌な態度をする人、

ただそれだけのことが多い。

わたしのせいだった時は、

ごめんなさいと、言えばいい。

先回りして考える必要はない。

 

嫌われたくない、とか

よく思われたいって気持ちから、

ついつい下手にでたり、

嫌と言えずに

自分の許容量を越えて引き受けたりしてた。

それもやめよう。

 

どこまで自分が引き受けるのか、

自分で決める。

他人の反応によってではなく。

 

嫌なことを言われたり、

傷つくことを言われたり、

その言葉に囚われて、引きずらない。

その人は、そういう考えなだけ。

わたしは、わたし。

その人とは違う考えなの、違う捉え方なの。

 

わたしはわたし、人は人。

 

そこには、違いはあるけど、

好き嫌いはあるけど、

正しい、間違ってるはない。

相手の境界線も、尊重する。

 

境界線を引く。

線の内側には、

他人の都合、

他人の意見、

他人の評価、

他人の反応、

他人の機嫌、

他人の視点

そういうものは、入れない。

 

土足でづかづか入ってこようとする人からは、

できるだけ距離をおく。

 

境界線の内側では、

わたしの感覚で、

わたしの都合を優先して、

わたしの考えで、

どうするか決める。

 

わたしが機嫌よくいられるために、

わたしが心地よくいられるために。

 

人の顔色をうかがって、

嫌われないようにって緊張している

わたしでいるより、

機嫌よく、心地よく、リラックスしている

わたしでいた方が、

きっと、周りの人も心地がいいはず。

 

人の顔色うかがうなんて、

ろくなことじゃなかったね。

 

他人の視線を気にすることなしに、

自分の素直な欲求を、

自分で聞き取る。

 

そのために、きちんと

境界線を引く。